退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

新国立競技場 「白紙に」のニュースで思ったこと

7月17日、安倍総理大臣は首相官邸で記者団に対し、新国立競技場について「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直す」と表明した。この報は産経新聞アプリで号外が発行されるほどのニュースとして大々的に報じられた。

人気取りに絶妙のタイミング

第一感として思ったのは、絶妙のタイミングだということ。安保法案を衆議院で与党で採決した翌日での新国立競技場の見直しである。狙いすましたようなタイミングといえる。

安保法案を強行採決して支持率にダメージを受けたので、ここで少しは挽回しておこうということか。ずいぶんと分かりやすい時期に見直しを表明したものだ。

また安全保障のテーマは一見分かりにくいテーマであるが、国立競技場はデザインが見えるし、予算やコストが明示的されるので国民にとっても非常に分かりやすいたいめ非難の声も大きい。そのため国立競技場問題がこれ以上迷走すると、政権が保たないという判断だろうか。

責任者は誰なのか

国立競技場の「施主」は日本スポーツ振興センター(以下、JSC)という独立行政法人であり、文部科学省の外郭団体である。JSCが「独立」と言っても、監督官庁の文科省の意向を無視できるわけもなく、実質的な責任者は文部科学大臣になろう。

現職は下村博文文部科学大臣であるが、まったく存在感がない。まさに空気。文科省の意向を代弁しているだけの木偶なのか、つい最近までは計画を見直す意思のないことを表明していたのに、この手のひら返しである。さっそく「コンペのやり直す」と言い出す始末。閣僚も軽量になったものだ。

まあ「国立」というのだから、最終的な責任者は行政の長である内閣総理大臣であろうが、この程度の案件で首相がいちいち「見直し」を表明してニュースになるのがおかしい。本来は文科相がJSCに対して指導力を発揮していれば済んだ話である。

こうなると首相の人気取りのために問題を放置していたのではないか、と思われても仕方ない。

実務家の挟持はないのか

もうひとつ疑問に思うのは、新国立競技場のプロジェクトでこのままでは頓挫すると警告する建築家はいなかったのかという点である。

外部からは「この計画は無茶だ」とする声はずいぶん聞こえていた。これに耳を貸さないのもどうかと思うが、そういう体質の組織なのだろう。しかしプロジェクト内部にも専門家はいたはずである。彼らは何をしていたのだろう。

安倍首相が見直しを表明する前、16日に建築デザインの審査委員会の委員長をつとめた建築家の安藤忠雄氏が記者会見を行い、「私たちが頼まれたのは、デザイン案を決めるまで。2520億円になった理由を私も聞きたい」と説明した。関西弁が微妙に胡散臭さを倍増していたのが印象的だ。


総工費の高騰に自分は関与していない・審査委員長の安藤忠雄氏が会見 - YouTube

「頼まれた以外のことは知らん。後は野となれ山となれ」ということなのか。実務家の挟持はないのか。せめてこのままではプロジェクトは失敗するぐらいの見通しを事前に表明するぐらいの良心はなかったのだろうか。晩節を汚すとはこのことだろう。

明治神宮外苑の雰囲気は守られるのか

個人的には東京五輪には興味ないし、人が増えて面倒だなぐらいに思っている。しかし新国立競技場の問題は別である。

建設費の高騰もさる事ながら、いちばん許せないのは神宮外苑の雰囲気が台無しになることだ。ザハ案はサイアクではないか。その意味では今回の計画見直しは歓迎したい。

神宮外苑は、東京周辺の住民の多くにとっては特別な場所だ。地方にも学生時代の思い出がある人もいるだろう。今後、明治神宮に隣接していることなど歴史的な意味をも考えて、それに相応しいデザインで新国立競技場が設計されることを期待したい。

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