退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

宝塚歌劇団が最大の危機を迎えたワケだが…

ことし9月、宝塚歌劇団に所属する25歳の劇団員が死亡したことについて、14日午後、劇団は記者会見を開き、外部の弁護士による調査チームの報告書を公表した。


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報告書では、長時間の活動や上級生からの指導で強い心理的負荷がかかっていた可能性は否定できないと、結論づけて劇団が謝罪した一方で、「いじめやハラスメントは確認できなかった」としている。遺族側は当然納得できず、劇団に再調査を求めている。

行き着くところ、泥沼の裁判で決着をつけることになるのだろうか。

本件に関連して、一部マスコミが「残業時間がどうのこうの」と報じていたが、“芸事”は労働なのだろうかという違和感が私にはある。もちろん過度な負荷により生徒が死に追い込まれることは断じてあってはならないし、無理ならば降りる選択肢がとれる環境は必要だろう。それでも、そうした試練を克服した者だけが見える景色はあるはずだ。

まあ、こうした考え方が通用しなくなっている時代の流れがあることも理解できる。今回の事件の真相は別にして、否が応でも宝塚歌劇団は変わらざると得ないだろう。100年以上の歴史と劇団が、これまで培ってきた伝統を活かしつつ、時代の要請に沿って体質改善を遂げるのは至難の業である。

少なくとも、「過度な縦社会」や「過密な公演スケジュール」はすぐに見直しが迫られることになろう。

この事件を仄聞して思い出したのは、10年以上前に話題になった宝塚歌劇団を舞台にした「いじめ裁判」である。今回の事件を受けて、裁判を扱った書籍が復刻されていた。このころに既に今回の事件の萌芽があったが、結局、劇団は体質を変えることができなかった、と見るべきだ。

私などはライトなファンに過ぎないが、宝塚歌劇団の時代を先取りしてきた演目はいつも感心してきた。アニメやゲームなどを果敢に取り入れて、舞台は「進取の精神」に満ちていた。しかし舞台では新機軸を打ち出しながらも、劇団の体質はそのまま温存されてきたのは皮肉なことである。

大資本をバックに持つ伝統のある劇団が、このままなくなるとは思えないが、どのように改革を遂げるのか先が見えない。宝塚歌劇団は、最大の危機に瀕している。

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