ふと思い立ち、映画の古典をちびちび見直している。その一環として、巨匠・黒澤明監督の名作『生きる』(1952年)を鑑賞。ちょうど70年前の映画である。
市役所に長年務めてきた市民課長の渡辺(志村喬)は、ある日、胃がんで余命宣告を受ける。そこで初めて、これまでの自分の人生の虚しさに気づく。市役所の部下だった若い娘(小田切みき)と遊んでみるが心は少しも満たされない。そんななか下町のおばさんたちの陳情を思い出し、公園造営のために行動を起したとき、渡辺はようやく生きがいを感じるが……。
日本映画史に残る名作。この映画の肝は練り上げられた脚本にある。クレジットには、橋本忍、小国英雄、そして黒澤明が名を連ねる。経験上、複数の脚本家が担当している作品はダメなことが多いが、本作はもちろん例外である。とくに場面が渡辺の葬儀後の宴に転じるところがいい。主人公が死んでからが「本編」という構成もいい。
その他にも「映画の教科書」とも言えるほど見どころが満載。世界のクロサワが、ガチで泣かせにきてるのもめずらしい。他の黒澤作品に見られない特徴である。ベタで陳腐な映画になりがちなテーマだが、溢れ出るヒューマニズムが鼻につかないのがこの映画のすごいところ。
「生きる」というタイトルも直球でこれ以上ないほどいい。締め切りが見えないと動き出さない人にこそ刺さる映画だろう。まあ世の中そうした人のほうがずっと多いようだ。自戒を込めてそんなことを思った。