退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

「岡田有希子 Mariya's Songbook」を聞いてみた

竹内まりやが、昭和末期のアイドル歌手だった岡田有希子(1967-1986)に提供した全11曲をコンプリートした企画アルバム。ジャケット写真から思いっきり昭和感が漂っている。

岡田有希子 Mariya's Songbook

岡田有希子 Mariya's Songbook

このアルバムは、竹内まりやがアルバム「Turntable」で岡田有希子の提供曲3曲をセルフカバーしたことから企画されたものだろうか。ちなみに竹内がセルフカバーしたのは、「ファースト・デイト」「憧れ」「恋、はじめまして」の3曲。

Turntable (通常版)

Turntable (通常版)

いまはどうかわからないが、おっさん世代には誰もがある時期夢中になった女性アイドルがいたものだ。私にとっては、80年代の正統派女性アイドルだった岡田有希子もその一人だった。


岡田有希子 Mariya’s Songbook

アイドルとしての彼女も印象深いが、何より衝撃的だったのは訃報である。いまだに忘れられない。運命の日、私は東京を離れていて、大きな会場である研修を受けていた。昼休みが受講者のひとりが、演台に上がって彼女の訃報を伝えた。スマホでニュースをチェックする時代ではなかったので、会場にいたほとんどの人は初めて聞いた悲報だっただろう。衝撃だった。

その後、しばらくの間、四谷四丁目の交差点近くのある会社に週に一度訪れることになった。サンミュージックの事務所があった例の現場である。「あ、ここだった」と思ったものだ。

このアルバムのリーフレットには、岡田有希子竹内まりやのツーショットの小さな写真が2枚載っていた。ファンションが昭和である。併せて、竹内まりやによる「有希子ちゃんへの追想」というメッセージが添えられていた。いい文章だ。

このメッセージによれば、「彼女が生きていれば52歳」だとあった。アラフィフの彼女を見たかったという思いもあるが、アイドル全盛期に他界したことによって、私のなかでは伝説になったことも否定できない。

今回昭和末期のアイドルの彼女の楽曲を、「平成」を越えて「令和」に聞くことになった。楽曲はまさに昭和アイドルのそれであるが、いま聞いてもあまり古臭さは感じない。竹内まりやの音楽には普遍性があったのだろう。