少し前に近所のシネコンで映画『沈黙-サイレンス‐』(2016年、監督:マーティン・スコセッシ)を見てきた。遠藤周作の原作が好きなので、事前に篠田正浩版をチェックしてから満を持して鑑賞する。
1966年に発表された遠藤周作の小説『沈黙』は、17世紀中頃、キリスト教徒に過酷な弾圧が加えられている日本を舞台に、信仰に対する根源的な問いかけに苦悩するポルトガル人宣教師の姿を描いた名作。遠藤周作の代表作のひとつ。この小説を原作に1971年に篠田正浩監督が映画化しているので、本作と見比べてみるの面白いだろう。
まず江戸時代の日本を外国人監督が撮るというので、「これはどこの日本かな?」ということにならないか心配していたが、事前のリサーチがしっかりしているのだろうかほぼ問題ないように思えた。
次に窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也たち日本人俳優陣の活躍も印象に残った。不思議だったのはキャストに『鉄男』を撮った塚本晋也監督が名を連ねていたこと。モキチという信者の役で海で十字架の架けられるという美味しい役。スタントなしだったらしいが熱演だった。
もちろんエンターテイメント系の作品ではないのだが、スコセッシ監督らしい際立つシーンが随所にあり唸らされるのはさすがというべきか。やはり一味違う。
Silence Official Trailer (2016) - Paramount Pictures
篠田版ではロドリゴが棄教した後、あてがわれた女を抱いて映画が終わるという、救いようのないエンディングだったが、スコセッシ版では棄教した後にかなり長い尺が割かれている。ロドリゴ( アンドリュー・ガーフィールド)はフェレイラ( リーアム・ニーソン)とともに公儀の仕事に就き、さらにフェレイラの死後も仕事を続け、自らも亡くなりその葬儀までが描かれる。
遺体が埋蔵のため運び出される際に、その手にあるロザリオが彼の手のなかにあるという演出でキリスト教関係者にとっては希望を感じられるエンディングになっている。
こうした宗教性の強い映画なので日本では早々に打ち切りになるかと思っていたが、劇場はかなり混雑していたし、映画もロングランを続けている様子。映画のなかで日本にキリスト教が根付かないことを「沼のようだ」と比喩していたが、その割には遠藤周作はいまなお人気があるし、この映画の興行成績も悪くないようだ。不思議な気がする。
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