早稲田松竹で映画『沈黙 SILENCE』(1971年、監督:篠田正浩)を鑑賞。マーティン・スコセッシ監督『沈黙-サイレンス‐』の公開記念特集。当日は遠藤周作作品の二本立てだった。
1966年に発表された遠藤周作の小説『沈黙』は、17世紀中頃、キリスト教徒に過酷な弾圧が加えられている日本を舞台に、信仰に対する根源的な問いかけに苦悩するポルトガル人宣教師の姿を描いた名作。遠藤周作の代表作のひとつ。
映画化にあたり、遠藤周作自身が共同脚本として参加していることも注目される。ほかにも撮影の宮川一夫、美術の粟津潔、音楽の武満徹といった錚々たるスタッフが名を連ねて、重厚な作品に仕上がっている。
いわゆる「転びキリシタン」の話なので、宗教性が強く日本では受け入れられにくい作品のせいだろうか、名画座でもあまり上映機会がなかったように記憶している。今回スコセッシ監督のおかげでひさしぶりに見ることができた。
驚いたのは、宣教師はポルトガル人のはずなのに劇中では英語を話していたこと。まあ英語のほうが海外でも伝わりやすいのだろうが不思議なことだ。また通詞役を演じた戸浦六宏の英語が達者なのにも感心した。彼は京大英文科出身なので驚くにはあたらないがさすがに上手い。映画を見ているうちに、apostatize(棄教する)という語をすっかり覚えたしまった。
驚いたことと言えば、丹波哲郎が、何年も前に日本に布教のため渡来するも弾圧により棄教したフェレイラ神父を演じていたこと。なんで日本の俳優が演じていか変だなと最初思ったが、なかなかの熱演で迫力があった。英語もさすがに007に主演しただけあって上手い。
続けてはやくスコセッシ版も見たい。日本で興行的に成功するとは思えないテーマなので早く観に行かないと上映終了になりそうで心配だ。
余談だが、今回は変則的スケジュールのため遠藤作品は隔日で上映された。スケジュールを見て悪い予感がしたが、案の定劇場は大変な混雑だった。一週間通して上映すればいいのにと思った。
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