この本は、2020年の東京五輪は「オリンピズム」への奉仕という本来の開催目的に立ち返るべきだと説き、政治家や官僚や大企業が利権の内部調整に終始するだけの巨大イベントにしてはならないと警鐘を鳴らす。
具体的には以下の論点が語られるが、いずれも五輪に対する既成概念に照らすと意外に思うことばかりで、いろいろと発見があった。一読の価値はある。
- オリンピックは「開催国のために行なう大会」ではない
- オリンピックは「国同士の争い」ではない
- オリンピックに「経済効果」を求めてはならない
- オリンピックの理念は「勝敗」ではない
この本の巻末には、東京五輪の関する閣議決定された資料が掲載されているが上記の考え方とはまったく異なり、経済効果や国威発揚、メダル獲得のための競技力アップがさかんに謳われている。ダメじゃん。
日本では理念のすばらしさをいくら強調しても人々の心を掴むことはできず、金をちらつかせないと誰も踊らないということだろう。
そもそも東京都が五輪招致を決めたプロセスで住民の十分な理解があったかも疑わしい。本書にはハンブルグやミュンヘンで住民投票を経て五輪招致を断念した事例が紹介されていた。東京でも招致の是非を問う住民投票を実施してほしかった。これでは「五輪より保育所を」という声ももっともだ。
国民は新国立競技場やエンブレム問題でうんざりしているだけでなく、そもそもスタート時点からおかしいと訝しく思っているにちがいない。結局、住民はおかしいと思いながらも積極的に反対をすることもなく、利権の恩恵を享受する一部の勢力の意向が通ったということだろう。
実は2020年の五輪会期中はどこかに「避難」しようかと、いまから真剣に考えている。