退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

国民的少女マンガ「ガラスの仮面」の既刊分を読み直したワケだが…

美内すずえによる国民的少女マンガ「ガラスの仮面」を既刊分49巻を読み直した。安達祐実主演のテレビドラマ「ガラスの仮面」の再放送を見たのがきっかけだが、こんなご時世でもなければ読み直すことはなかっただろう。

ガラスの仮面」の連載が始まったのは1976年で、単行本の「最新巻」である第49巻の発売は2012年10月であるから、いろいろ意味でスケールの大きな漫画作品である。まさか令和の時代まで完結してないとか……。このまま「未完の大作」とならないことを祈るのみである。

読み直して思ったのは、ドラマを見たせいもあるが、前半はかなり鮮明に覚えているのに対し、後半以降はこんな話だったかなと記憶があいまいでだったこと。やはり若い頃に読むべき作品といえるだろう。

単行本は、もっと区切りのいいところで終わっているかと思ったがそうでもない。「え〜、これで終りなの?」という終り方である。例えば、

  • 北島マヤ姫川亜弓のどちらが主演となるのかを決める「紅天女」の試演はどうなるのか
  • 事故で目が不自由になった姫川亜弓はどうなるのか
  • 「紫のバラの人」こと速水真澄とマヤの恋はどうなるのか
  • 速水がマヤを愛してると知り、自殺未遂を起こした速水の婚約者・鷹宮紫織はどうなるのか

などなど、未解決になっていることが多い。いずれにせよ、そう簡単に物語は終わりそうにない。

連載開始時にリアルタイムで「花とゆめ」で作品を読んでいた少女たちも、いまではすっかりオバサンだ。それにもかかわらず、コミックのなかの北島マヤはいまだ二十歳ぐらいだ。リアルの時の流れが、コミックの中のなかのそれをすっかり追い越してしまった。本来、連載漫画はこれではダメだと思うのが、これが許されてしまうのがこの作品が偉大であることの証左とも言える。

また最近10年の社会の変化はすさまじく、昭和の設定では現代劇としては無理があるようになってしまった。今後、この齟齬に対してつじつまを合わせていくのかだろうか。その点にも注目したい。

2017年秋に松屋銀座で開催された「ガラスの仮面」展を見に行ったことがある。録り下ろしの美内すずえ先生のインタビュー映像が上映されていた。そのなかで「ラストは決まっています」「決してラストをあきらめたわけではありません」と言っていた。

果たして完結するのだろうか、そして私は最終巻を読むことができるのだろうか。先生の言を信じて気長に続編を待ちたい。

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