退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【映画感想】『貸間あり』(1959) / 大阪下町を舞台にしたスラップスティック

新文芸坐の《サヨナラだけが人生だ 川島雄三の世界》で、映画『貸間あり』(1959年)を鑑賞。原作は井伏鱒二の小説だが大胆に脚色されている。白黒映画。

戦後間もない通天閣を見下ろす大阪上町台地に立地する古い民家に「貸間あり」の札がかかっている。この「アパート屋敷」に住む、個性豊たかな奇人たちが織りなす人生喜劇。住人の与田五郎(フランキー堺)は堪能な語学を駆使してよろず屋を営んでいたが……。

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グランドホテル方式で展開するスラップスティックであり、複数のストリーラインが並行して進行していく。そのなかではドタバタ喜劇すぎて、感覚的に受け入れられないものもある。それが時代の隔たりによるものか、馴染みのない大阪的センスによるもかはわからない。

そのなかで小沢昭一の替え玉受験の話はちょっと面白い。いい歳をして不正をして大学受験とうのはどうかと思うが、フランキー堺小沢昭一の掛け合いは掛け値なしに楽しい。

その他は住民のひとりが自殺するエピソードは暗すぎるし、取ってつけたような淡島千景との恋物語も上滑りしているように思える。グランドホテル形式でコメディ映画を撮るのはむずかしいと実感できる。局所的には面白いと思えるシーンもあるが、 全体を通して「人間の生きる悲しみ」が表現できているかは疑問。

劇中ラストで桂小金治が「サヨナラだけが人生だ」と呟くシーンがある。このフレーズは川島監督の口癖だったらしく、彼の墓碑銘にもなっている。その意味では、川島監督の内面的自叙伝とみなせるかもしれないが、映画として面白いかはまた別の話である。