退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【読書感想】吉川徹『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』(光文社新書、2018年)

計量社会学者である筆者が大規模な社会学調査(SSP2015とSSM2015)のデータを分析し、日本の分断について警鐘を鳴らす。

ユニークなのは、日本ではこれまでタブーとされてきた「学歴」を分断線として分析をしている点である。欧米メディアの世論調査のなかには、年齢やジェンダーに加えて学歴による差異も分析対象にしている例も見るが、日本ではほとんど目にすることがない。

具体的には、以下の3つの要素で現役世代を8分割して、それぞれの集団が置かれた状況や意識の違いなどを読み解いていく。

  1. ジェンダー(男女)
  2. 世代(生年):若年: 1975-94年生/壮年: 1955-74年生
  3. 学歴:大卒(短大を含む)、非大卒(専門学校を含む)

この3つは変えようのなステータスだという。学歴はいったん社会に出てからでも大学に行って学び直せば変えることができる。しかしリカレント教育が一般的でない日本では、いったん社会に出たら変わることがない属性としている。

こうして8分割された集団のうち「若年非大卒男性」のセグメントを、この本ではレッグス(Lightly Educated Guys)を呼ぶ。わざわざ新しい呼び方をする必要もないとも思うが、このレッグスが、日本社会で苦しい立場に置かれ、孤立しつつあることを指摘している。これは書名のとおり。

しかしレッグスは割りを食っているにも関わらず、政治意識が低く、自ら声をあげることもない。為政者や経営者たちからは、まことに都合の良いに存在になっているようだ。

また地域差にも注目したい。東京は64.8%が大卒であるが、島根は37.6%しか大卒ではない。とくに若年大卒女性(21~40歳)は東京都人口の17.7%を占めるという(p.150)。田舎の優秀な人材は大学進学時や就職時に都市部に流出して、田舎に戻らないということだろうか。こうした人材の偏在化や都市部の高学歴化という状況に地方疲弊や少子化の原因の一端があるのだろう。

あと学歴分断社会を「スポンジケーキの上のミルフィーユ」に喩えているのは上手い(p.107)。 下にはほぼ均一な非大卒層がいて、その上に、薄いパイ生地が幾重にもなったように、入試偏差値で輪切りにされた大学の学校歴が乗っているような形状だという。

ネット上ではMARCHや日東駒専大東亜帝国という大学群について不毛な議論が続いているが、これも洋菓子のミルフィーユ内部の内輪話にすぎず、大卒と非大卒の間では明確な学歴分断線が存在しているというわけだ。

最後まで読んで思ったのは、「日本の分断」はいつ始まったのかという疑問である。この本での分析は2015年の社会学調査を基にしているので、その時点における状況分析だろう。いつ問題が顕在化したのだろうか。かなり前から学歴分断はあったようにも思うし、大学進学率が上昇して大卒層の質も変わってきてるはず、などといろいろ考えてしまう。

それにしても、なぜ日本では学歴分断を語ることがタブーとされてきたのだろう。会話のなかでは学歴はセンシティブな話題だろうが、マスコミの世論調査ではジェンダーや年齢だけでなく学歴のちがいも分析対象にすると、日本の置かれている状況がよりよく見えるようになるだろう。

この本の最終章では「共生社会に向かって」と題して分断社会への提案もなされている。しかし暴発さえさせなければ、分断されたレッグスは使い勝手のよい便利な存在だと考える人も相当数いるではないか。レッグスを使い倒すセグメントに入るために、受験勉強に励み国公立大やMARCHを目指すという現代日本の風景が見えたような気がした。

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