退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【映画感想】『貴族の階段』(1959) / 二・二六事件を背景にした悲恋模様

新文芸坐の《大映女優祭 in 新文芸坐》で映画『貴族の階段』(1959年、監督:吉村公三郎)を鑑賞。原作は武田泰淳の同名小説。二・二六事件(1936年)を取り上げた歴史映画かと思ったが、昼のメロドラマになりそうな結構ドロドロとした話だった。

昭和初期。進歩的な貴族として知られる貴族院議長・西の丸秀彦(森雅之)の娘・氷見子(金田一敦子)の視点で二・二六事件に向かう激動の時代を描く。氷見子の親友の節子(叶順子)は、急進的な陸軍将校に理解を締める陸軍大臣猛田大将(滝沢修)の娘だった。そして氷見子は、節子と、近衛の見習い士官である兄の義人(本郷功次郎)との仲を取り持つキューピットの役割を果たしていた。

ある夏の日、氷見子は節子と父の軽井沢の別荘に出かける。酒席のあと、秀彦は劣情をもよおし節子と無理やり関係を持ってしまう。そのことを誰にも告げられずに悩む節子。一方、義人は青年将校たちの仲間になっていた。

ついに二・二六事件の夜がくる。義人は妹に睡眠薬を飲まされ実行部隊に参加できなかった。朝、慌てて襲撃現場に行くが後の祭り。義人はその場で自決。さらに節子も氷見子あての遺書を残し自刃して果てる。その後、しばらくして秀彦に組閣の大命が下る。

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映画『貴族の階段』(1959年) :文字通り貴族の階段

こんな話である。息子の恋人であり娘の親友である女性に手を出すエロ公爵・秀彦の鬼畜の振る舞いが目に余る。こんな奴が国の指導者になっていいのだろうか。それでも政治家としての嗅覚は一流で二・二六事件には傷つかずに権力の頂点に近づく。

女優祭ということで見ると、エロ公爵の餌食になる叶順子が難しい役を見事に演じているのが目立つ。セーラー服もかわいい。

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映画『貴族の階段』(1959年) :(左から)叶順子、金田一敦子、本郷功次郎

この映画はフィクションであるが、史実に当てはめると二人の父親のモデルは、それぞれ近衛文麿と真崎甚三郎ということになる。ちなみに二・二六事件のあと岡田啓介内閣は総辞職し、近衛文麿に組閣の大命が下る。しかし健康上の理由からこれを固辞し、広田弘毅が政権を担うことになる。その後、ようやく近衛文麿が総理大臣になると組閣後間もなく盧溝橋事件が勃発し、日本は一気に滅亡の道を辿ることになる。

近衛文麿の評価は毀誉褒貶があるところだろうが、後日、小説でこうした人物像で描かれるのはやはり日本のリーダーとしてふさわしくなかったのだろう。政治家は結果責任だとすればなおさらである。そんなことを思いながら映画をみた。