退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【衆院選 2014】ー票の格差・違憲状態のままで選挙戦へ

衆議院選、参議院選ともに法の下の平等を定めた憲法第14条に違反するという「ー票の格差」判決が相次いでいる。最近では、最高裁が11月26日、一票の格差が最大で4.77倍だった2013年の参院選は「違憲状態」との判断を下した。しかしここでも選挙無効にまでは踏み込めていない。

今回の衆院選違憲状態になるのは確実

総務省が発表した選挙人名簿登録者数によれば、14日に投開票が行われる衆院選も「違憲状態」になるのは確実だ。

 総務省は2日、衆院選公示日の選挙人名簿登録者数を発表した。295の小選挙区のうち、有権者が最も少ない宮城5区(23万1668人)と最も多い東京1区(49万5724人)の「1票の格差」は2.140倍で、前回2012年衆院選の最大2.428倍より縮小した。ただ、最高裁判決などで「目安」とされる2倍は下回らず、事実上の「違憲状態」が解消されないままの選挙戦となる。


ソース:毎日新聞 (2014-12-02)

裁判所からは「一票の格差」の許容範囲について明確な基準は示されていないが、この記事では一応「目安」と考えられている2倍を超える選挙区は13もあるとされる。

今回の衆院選では、一票の格差を違憲状態とした2011年の最高裁判決を受けた緊急措置として、「0増5減」の格差是正が行われたが、その後の人口移動などで早くも「目安」を超えたことが明らかになった。

選挙後、再び「一票の格差」の違憲性を争う裁判が起こされるのは確実であり、過去の判例から違憲状態であることは容易に予想できる。最高裁から違憲状態判決が下されているのにもかかわらず、選挙を実施することが許されるのだろうか。

国会は選挙制度を自己改革できないのか

当然のことながら選挙制度を決めるは国会であるが、既存の選挙制度で当選してきた議員にその選挙制度を改革するのは無理だ。それを期待するのは、「泥棒が自分を捕まえる」ようなものだろう。

さらに最高裁判決では「都道府県単位の選挙区割り」を許さないと指摘している。つまり「一人別枠方式」の見直しを含む選挙制度の大幅な見直しが必要ということだ。これでは議員の身分があぶないと考えるのも無理もない。

また下の記事にあるように海外メディアからも、「1票の格差が利権政治を助長」と手厳しく批判されている。1票の格差が放置されている原因は、「利権政治」「世襲議員」というのはなるほどと思う。

何はともあれ最高裁判決のスルーして選挙して法治国家と言えるかも疑問である。

都市部 vs. 地方の図式に合理性はあるの

一票の格差は主に都市部と地方部の間の政治的影響力の不均衡として表れている。地方有権者の国政に与える影響力が不合理に大きくなっているということだ。そのことが様々なひずみを生んでいる。

選挙区割を完全に人口比例にすると、地方有権者の声が国政に届かなくなるおそれがあるという意見もある。「地方軽視は許さん」というわけだ。

一理あるが、地方をどう扱うのかは、一票の格差を是正したあとの国会で議論するべきことだろう。そもそも選挙区がどこであろうと、議員は国民全体の代表であるはずだ。一票の重みが等しいことが、民主主義の基本であることは論を俟たない。

「一票の格差」問題はどうなるのか

違憲状態で衆院選が行われることは確定している。その後、提起されるであろう裁判で「違憲状態」ならぬ「違憲」と判断され、いよいよ選挙無効の判決が出るかが焦点である。国政選挙のたびに違憲訴訟が起こされているが、だんだん判決のトーンがきびしくなってきている。

裁判所も、国会が抜本的な選挙改革をやらないこと対し「激おこ」状態になりつつある。今回の衆院選について選挙無効になれば前代未聞の事態でなり、対外的にもかなり恥ずかしい。

しかし、選挙無効判決のような裁判所の強い意思が示されない限り、いつまでも小手先の手直しでお茶を濁すことが繰り返されることになるだろう。もう違憲判決が繰り返されるのを見るのはうんざりだ。一度、選挙無効という絵を見てみたい気もする。事態のドラスティックな進展を期待したい。

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photo by wilmack