退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

島﨑今日子『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』(文藝春秋、2023年)

週刊文春」の連載をまとめたジュリーこと沢田研二の評伝。沢田研二の楽曲とその時代の流行歌を聞きながら読んでみた。手にして結構活字が詰まっていてボリュームがあり読み応えがあった。

膨大な資料を引用しながらジュリーの半生を描ききったことはプロの仕事として素晴らしい。ただ雑誌の連載だったせいか、きちんと時系列になっておらず、やや混乱する。また曲名やアルバム名について、音楽的な深掘りがほとんどないのは不満。時代ごとの音楽シーンと重ねてジュリーの楽曲について評価してほしかった。

私はグループサウンズ時代の音楽は好きだが、リアルタイムでタイガースを体験している世代ではなく、どうしてジュリーがソロ活動を始めて、歌謡曲のヒットチャートを席巻していた頃からのことしか知らない。

そうした私が興味深く読んだのは、ソロになってからのバックバンドの変遷である。単にバックバンドと呼ぶのが適切ではないかもしれないが、錚々たるバンドメンバーとのインタラクションにより、すぐれた楽曲が産まれていた様子がわかる

また衣装についてのこだわりも面白く、とくに早川タケジの仕事が目を引く。と言っても、文字を追うだけでは衣装を想像することは難しい。少しは写真があればよかったのだが……。本書から豪華写真集が出ていることを知ったが、気軽に手をだせる値段ではない。

既述したとおり音楽的な読み物としては物足りないが、沢田研二の人物像はよく描けていて満足した。それでも索引と年譜がないことは大いに不満。文中に多くの人物や楽曲・アルバムが登場するが、巻末に索引があればいいのにと何度も思ったことか。また文中に、当時の社会の出来事が出てくるが、これもジュリー周辺の出来事と社会の出来事を併せた年譜があれば読みやすいだろう。

やや余談になるが、宝塚歌劇団の演出家・小池修一郎が大学時代にジュリーのアングラ芝居を観ていたエピソードは新鮮だった。後に東宝エリザベートの打ち合わせで「トートは、20年前ならジュリーなのだが」と話し合っていたという。なるほどと思ったものだ。