俳優の渡哲也さんの訃報が届いた。78歳だった。
日活アクション映画の黄金期を支えた銀幕スターのひとり。初主演作『東京流れ者』(1966年)は鈴木清順監督らしいスタイリッシュな任侠映画で最近見直したが面白かった。ただし、個人的には日活アクション映画が苦手だったこともあり、渡さんの代表作である「無頼」シリーズもいまひとつピンとこなかった。
その後、石原プロに入りテレビドラマに活躍の主軸を移して、「大都会」や「西部警察」などで活躍した。とくにスポーツ刈りにサングラス姿の“大門軍団”の団長は当たり役とだった。私自身も子どもの頃、毎週テレビで見て「すごいなぁ」と見入っていたものだ。まあ子どもながらに、あの種類の銃にスコープを付けるのはおかしいし、ヘリから撃って命中するもんじゃないだろと思ったが、細かいことを気にせずに見るのがオツというものだろう。とにかく勢いのあるアクションドラマだった。
石原裕次郎さんの死後、渡哲也は石原プロの社長に就任している。つい先日、石原プロの事実上の解散が発表されていたのも“後始末”の一環だったのだろうか。 ちなみに石原プロモーションの映画製作第1回作品は、『太平洋ひとりぼっち』(1963年、監督:市川崑)である。今見直すと感慨無量。
事務所経営に縛られていたせいもあるのか、日活を離れて以降はあまり映画への出演がなかったのは、映画ファンとしては残念だった。実弟の渡瀬恒彦がテレビ時代になってからも、いつくも映画に出演して強い印象を残したのとは対照的といえるだろう。
また歌手としても「くちなしの花」(1973年)をヒットさせて紅白歌合戦に出場していることも注目したい。銀幕スターらしいパフォーマンスが記憶に新しい。昭和が遠くなっていく。