新年度になった4月1日、政府は予定通り新元号が発表した。「令和」である。
新元号は「令和(れいわ)」 「大化」から248個目 https://t.co/Ivw0AuOrQ1
— 毎日新聞ニュース速報 (@mainichijpnews) 2019年4月1日
万葉集が典拠だそうだが特段感想はない。そのうち慣れていくのだろう。それより、新元号発表のニュースを見ていていて、新元号が発表されたとたんに拍手したり、泣き出す人がいたのが不思議だった。
わたしは元号を廃止しろとまでは言わないが、実務上あまりに非効率なので、元号を使わないで済ます権利があってもいいだろうと考えている。今回はITシステムが普及して初めての改元なので、そうした元号の扱いを議論するよいきっかけになると思ったが、そうした動きはあまりなかった。
もっとも民間企業には改元に伴うシステム改修の際に、なるべく元号使用を排除する動きはあった。目立つところでは、銀行通帳の日付や鉄道会社の発行するきっぷの日付などがいつの間にか西暦表記になった。その対応は当たり前で、改元のたびにシステム改修なんてやってられないというのが企業の本音であろう。そうなると改元使用の元凶は行政や司法などの公的機関であることは疑いがない。
そんなことを考えていると、日本共産党が「元号の慣習的使用には反対しないが、使用の強制には反対する」という談話を出していたのが目に止まった。
これは私の考えにかなり近い。イデオロギーの問題ではなく元号使用は単純に効率が悪いからだ。西暦と元号の変換しながら面倒な計算を強いられている人が浪費する時間は日本中でいかばかりだろうか。まったくの無駄である。せめて元号を使わなくても実務が滞らない環境整備は必要だろう。
具体的には、以下のことを実施してほしい。
- 一般国民が公的機関に提出する書類はすべて西暦表記を認めるように書式を改める
- 公的機関が一般国民に対して作成する書類のすべてに西暦表記を併記する
改元を機に、こうした議論がさかんにならなかったのは実に残念である。
繰り返しになるが、元号と使いたい人は閉じた世界で使うのであればまったく問題ない。これを一般国民に強制するのだけはやめていただきたい。今後、可能な限り元号をボイコットしたい。こうした動きが草の根運動として盛り上がればいいと思う。