退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【映画感想】『プライド 運命の瞬間』(1998) / 津川雅彦が演じる東條英機

新文芸坐の《青春スターから円熟の演技者、そして監督へ 映画を生きた男 追悼・津川雅彦》で映画『プライド 運命の瞬間(とき)』(1993年、監督:伊藤俊也)を鑑賞。「東京裁判」でひとり戦った東條英機の人間像にフォーカスして描いた人間ドラマ。主演は津川雅彦

東京裁判A級戦犯として裁かれた東條英機津川雅彦)が法廷で「たったひとり戦い」に挑む姿を人間・東條英機に注目して描いた作品。以前より映画館で見たかった作品だが、津川雅彦の追悼企画でようやく思いが叶った。

東京裁判戦勝国が敗戦国の首脳を一方的に裁く「政治ショー」であり、その正当性に疑義があることを知らしめた点は評価できる。さらに家庭人として東條を演出することで、人間味のある人物像を描くことにも成功しているように思う。しかしタイトルからは何の映画かすぐにわからないのは失敗ではないか。

津川は関係者に対して綿密な取材を重ねて役作りに注力したという。遺族をして「まるで東條が生き返ったようだ」と言わしめたという演技は刮目に値する。津川の俳優人生で見落とせない作品である。

この映画は政治的にセンシティブな作品でもあり、戦犯・東條英機を美化するとはけしからんという非難を浴びた。想定されたことだったろうが、予定どおり公開したのは東映の英断だろう。一度は見ておくべき映画である。


プライド~運命の瞬間~ 特報・予告編

この映画が東條英機の一面を描くことにより東京裁判の再検証を試みて、一定の成果を上げていることに異存はない。しかし日本人として東條に対し問うべき戦争責任は、東京裁判で追求されたそれとはちがう。それは勝てるはずのない戦争を始め、多くの国民を死地に追いやり、これ以上ないほど無残な敗戦を迎えたことについての戦争指導者としての責任である。

一言で言えば、東條は政治的あるいは軍事的リーダーとしてまったく無能だったいう点である。まあ東條ひとりにその責任を求めるのは酷かもしれないが、そうした敗戦に対する総括なしに現在に至っているのは日本の不幸である。

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