新文芸坐で映画『不毛地帯』(1976年、監督:山本薩夫)を見てきた。何度も見た映画だが、しばらくするまた見たくなる不思議な作品。
《8.15終戦の日 特別企画 映画を通して、歴史や社会を考える 戦争 軍隊 原爆 冤罪…》という恒例のプログラムでの上映だった。山崎豊子の同名小説のうち次期戦闘機選定までの前半部を映画化。主演は仲代達矢。
旧陸軍の大本営参謀だった壱岐正(仲代達矢)が敗戦後、シベリア抑留を経て、帰国後近畿商事に入社して空自の次期戦闘機選定という「黒い空中戦」で辣腕を発揮する。現実の政治経済と重ねて描く社会派作品であると同時に、娯楽作品としても見応えがあり、ふたつ両立しているのは見事。
最近、原作のある作品の映像化はどうあるべきかを考えているが、この作品は原作を忠実に映画化するにとどまらず、監督の作家性が発揮されたシーンがある。ここでは2つ挙げてみる。
ひとつは、シベリア抑留中にソ連軍将校から天皇の戦争責任について追求を受けるシーン。壱岐は頑なに否定するが、そのシーンに昭和天皇の乗馬姿の映像がフラッシュバックされる。天皇の戦争責任については諸説あるだろうが、スクリーンから強烈なメッセージが感じられる。
ふたつめは、壱岐の長女(秋吉久美子)をして、「自衛隊は不要」「安保反対」と言わしめたうえで、自衛隊関連のビジネスを関わる父親が恥ずかしいと、激しい言葉を投げさせている。このあたりは70年安保闘争の残滓かもしれないが、山本監督らしい演出。戦闘機をめぐる大きな話が続くなか、主人公・壱岐の家庭の様子を描くことでドラマに厚みがでているのは確かだろう。
小説と映画はちがうので、原作をそのまま映像化しても見るに堪えない場合もあるだろう。やはり監督の作家性を押し出した映画は面白い。
それにしても、壱岐は頭脳明晰と謳われた大本営参謀のわりには、いろいろ杜撰というか詰めが甘い。たしかに近畿商事が推す戦闘機が選定され「戦い」には勝利するが、違法に入手した機密書類のために空自幹部だったかけがいのない親友(丹波哲郎)を死に至らしめている。
部下の人心掌握もできずに、情報源の秘匿にも失敗している。意外に無能ではないか。この程度の人物が軍師を務めていた旧軍が負けてるのも当然かもしれない。そんなことを思った。