退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【映画感想】『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960) / 真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦で1粒で2度美味しい

新文芸坐の《「三船敏郎、この10本」刊行記念 永遠の映画スター 三船敏郎 没後20年/映画デビュー70年記念上映会》という企画上映で、映画『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960年、監督:松林慎司)を鑑賞。空母「飛龍」の搭乗員の視点から真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦まで描く。

空母「飛龍」の搭乗員・北見中尉(夏木陽介)の視点で、真珠湾攻撃からミッドウェイ海戦までの太平洋戦争前期を描く超大作特撮戦争映画。本作のため、東宝がスタジオ内に特撮用大プールを建設したことでも知られる、特技監督円谷英二。特撮ファン必見の戦争映画。旧海軍の大艦隊の勇姿を堪能できる。


The Storm of the Pacific (1960) - Theatrical Trailer

三船敏郎は、名将と言われた第二航空戦隊司令官山口多聞を演じている。ミッドウェイ海戦では空母飛龍に搭乗して艦隊の指揮をとっている。米軍機の急襲で加賀、蒼龍、赤城の三空母がまたたく間に戦闘能力を失うなか、飛龍1隻が反撃に出て米空母に一矢報いている。その飛龍も多勢に無勢のなか戦闘不能になり、結局味方艦により雷撃処分される。この映画では飛龍の沈没までの様子が詳細に描かれている。

山口多聞三船敏郎)と飛龍の加来艦長(田崎潤)は飛龍とともに運命をともにする。艦橋の柱に体を縛って艦とともに沈むという日本海軍おなじみのパターンである。そのあと、この映画最大の見せ場というかなんとも不思議なシーンがある。

このふたりが海中ででしみじみ語り合う場面である。死者の語らいだが、なんともファンタジックというか戦争映画らしくない。僧侶であり海軍中尉として従軍経験のある松林監督の死生観というか戦争に対する思いが強烈に打ち出されていて印象に深く残る。

このふたりの会話はいま聞くと最高指揮官のくせにずいぶん無責任なことを言うものだなと思うが、個人のレベルではどうしようもなかったということだろうか。それにしてもミッドウェイ海戦での失敗には数多くの教訓も含まれていたはずだが、それをフィードバックできない組織はどうなのだろう。生きて帰って教訓を海軍首脳部に自ら伝えるべきだろう。

パイロット養成にも時間がかかるだろうが、それ以上に指揮官の養成には時間がかかる。それなのに艦が失われるとともに、指揮官も命を断っていれは指揮官がいなくなってしまう。これでは勝てないなといまさらながら思った。

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それにしてもミッドウェイ海戦は日本にとっては負け戦なのに、何度も映像化されている。もちろん太平洋戦争の転換点だということもあるが、艦載機の兵装を陸上用爆弾から魚雷に転換するあたりなど、見どころを作りやすいこともあるのだろう。いまさら負け戦なんかみたくないと、敗戦からわずか15年の当時の観客は思わなかったか不思議でもある。

さて、この映画では、いわゆる「銃後の守り」、内地の様子もよく描かれている。映画の語り部である北見の婚儀の当日招集がかかる。それでも許嫁(上原美佐)と夫婦になり、母のことを頼んで軍に戻っていく。この花嫁姿の上原の美しさにも加点しておきたい。ちなみに北見はミッドウェイで生き残るが、ミッドウェイでの大敗を国民に隠蔽するために軍施設に隔離され、家族と連絡をとることも許されずに南方に送られる。この夫婦は二度と会うこともなかっただろう。切ないエンディングである。