オールナイト《新文芸坐 昭和ガメラまつり 2018》で映画『大怪獣ガメラ』(1965年、湯浅憲明監督)を見てきた。「昭和ガメラ」シリーズの第1作。白黒映画。
東宝ゴジラの成功を横目で見ながら満を持して大映が投入した怪獣映画。大映は『釈迦』や』『鯨神』などで特撮技術を蓄積していたはずだが、怪獣映画が勝手が違ったのだろうか、試行錯誤が透けて見えるようだ。
まず社運を賭けたシリーズ第1作が白黒映画というはどうなのか。すでに会社が傾いていたのか、様子見だったのかやる気を感じない。それでも結果的にはガメラはドル箱となって大映末期を支えることになるから世の中わからないものだ。
一般的にシリーズ第1作は、それなりの水準にあるものである。第1作がコケれば、続編が作られることはないからである。しかし、この第1作は決して出来がよいとは言えない。少なくとも先行する東映の怪獣映画を後追いできるレベルではない。
それでも興行的に成功したのは、ガメラのキャラクターだろう。巨大なカメがグルグル回転しながら空を飛ぶ映像は、いま見てもインパクトがある。
ストーリーを見ていく。人類がガメラと対決するなか様々なおかしい作戦が登場する。抱腹絶倒なのは、ガメラの足場を崩して仰向けにひっくり返して、「カメは自力では元に戻れない。あとは餓死するのを待てばよい」と対策チームが大喜びする場面。しかしガメラはジェット噴射しならが空を飛び、あっさり危機を回避する。カメが空を飛ぶという摩訶不思議な能力を観客に印象付ける迷シーンである。
他にも東京湾から大島まで石油をまいてガメラを誘導しようとしたり、ガメラをロケットに載せて火星まで追放(Z作戦)したり、バカバカしい作戦が続く。シリアスだった初期の東宝ゴジラとは対照的である。
次に出演者にも目を向けてみる。怪獣映画に欠かせない科学者(船越英二に浜村純)たちも場当たり的な発言を繰り返して間が抜けている。ゴジラ第1作の志村喬、平田昭彦に比べるとなんとも締まりがない。さらに迷惑な子どもがまわりをイライラさせるあたりは、今後の「ガメラ」シリーズの特徴がすでに現出している。
まあゴジラと比べても仕方ないのだが、どうしても比べられるのがゴジラとガメラである。さまざま点で見劣りのする昭和ガメラがいまでも愛されているのは特筆すべきことである。やはりカメが飛ぶという着想が優れていたのだろうか。