早稲田松竹で映画『FOUJITA』(2015年、監督・脚本:小栗康平)を鑑賞する。洋画家・藤田嗣治(ふじたつぐはる、1886 - 1968年)を描いた作品だが伝記映画というわけでもない。主演はオダギリジョー。
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1920年代のパリ、そして1940年代の日本を舞台にする2部構成。唐突に舞台がパリから日本に移り驚く。この映画は事前にフジタについてのかなりの背景知識を期待しているようだ。「藤田嗣治って誰?」という人が見てもポカーンとなるばかりだろう。エンタメ映画とは極北にある作品でハードルはかなり高い。
そうかと言って、この映画を見ればフジタの生涯を追える伝記映画というわけでもない。1920年代のパリと1940年代の日本という限られた時期を取り上げているだけだからだ。この2つの時期だけでフジタを捉えるのはどうかと思った。
やはりフジタを描くなら戦後も描いてほしい。GHQに正式に訴追されることはなかったが、戦時中に数多くの戦争画を描いたことで戦争責任を追求されたことに嫌気がさし、再び渡仏してついには帰化して二度と日本に帰ることがなかった、という一連の出来事ははずせない。さらに1931年に個展開催のため渡米したことも抑えてほしい。画家としての転機だったのではないか。
映画の雰囲気は重厚と言えば耳障りがよいが、悪く言えば鈍重な印象で重々しく、フジタの人物像とは違うように思う。もっとフットワークの軽い、自由奔放な人物だったはずで映画ももっと軽妙なタッチがよかったのではないか。
最後まで見るとかなり疲れる映画なのだが、ラストにランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂が映像に残されているのは美点。フジタが手がけた最後の大作であるフレスコ画もスクリーンで見ることができる。この一点で少しだけ評価がアップした。
余談だが、この映画の前半はパリが舞台でフランス語劇で進行する。オダギリジョーのフランス語はどうだったのだろう。専門家に訊いてみたい。