センセーショナルなタイトルが付いているが、この本では英語教育そのものを否定しているわけではありません。英語化を進めた大学に巨額の補助金を与えるスーパーグローバル大学創成支援から英語公用語特区の提案に至る、日本社会を「英語化」する政策に対して警鐘を鳴らす本です。そのなかには批判の多い「小学校からの英語必修化」や「中高、大学における英語による授業」などの教育改革も含まれます。
内容は論理的でとても分かりやすいので、最近の英語化に懸念を持っている人に幅広くオススメできます。とくに政治学者らしく、言語の問題は、政治や民主主義につながっているという視点は興味深い。また言語と文化は切り離せるか、つまり言語を単なるツールと見なせるのかという疑問にも一定の方向を示しているのも面白く読みました。
この本では日本で英語化を進めると、次のものが壊されるといいます。
- 思いやりの道徳と「日本らしさ」が破壊される
- 「ものづくり」を支える知的・文化的基盤
- 良質な中間層と小さい知的格差
- 日本語や日本文化に対する自信
- 多様な人生の選択肢
このなかで目につくのは知的格差の拡大でです。数年前からエグゼクティブたちが「えーと、これは日本語ではなんというのだったかな」というシーンをよく見かけるようになりました。これらは日本人だが海外でMBAを取得したような連中です。「ビジネスでは英語で思考しているのかなぁ。すごいなぁ」と他人事のように思っていたら、だんだん身近でも見かけるようになって「なんかやばくね」と思いはじめています。そういう彼らも家庭では土着語である日本語で生活しているはずですが……。
この「英語化」を新自由主義者が推進しているとすれば、彼らにとってタイトルにある「日本の国力」がどうなろうと関心がないはずです。新自由主義の流れに逆らって日本の国益を守ることができるのか、いまの政治状況をみると心もたないです。
今後、日本人が新自由主義の奴隷になっても奴隷長になればいいんじゃない、と学生たちが考えはじめたらもう手遅れです。この意味では、10年後ぐらいに「スーパーグローバル大学創成支援」(いつも名称が笑える)が、どのように評価されているのかが試金石になるはずです。そのとき、この本が鳴らしている警鐘の本当の意味が眼前で明らかになるでしょう。