ユネスコの世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録された、と報じられた。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録された。中国側はこれまで、「反日プロパガンダ」の一環として「南京」を利用してきたが、識者らによって虚偽や疑問点が次々と暴かれている。
この文章の信ぴょう性には大きな疑義があるが、上記のように中国の申請が認められてユネスコが世界記憶遺産として登録されてことは、日本外交の大敗北であることは間違いない。
今回はそれは措いておき「南京事件」という呼称について思ったことを書いておく。
南京大虐殺(南京事件)の呼称
いわゆる南京大虐殺とは、日中戦争(支那事変)初期の1937年に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の便衣兵、敗残兵、捕虜、一般市民などを殺したとされる事件を指す。
この事件については、様々な論争が存在しているがここでは触れない。問題にしたいのは、その呼称だ。
虐殺の存否自体に疑義があるのに、「南京大虐殺事件」と呼ぶことはできないということなのか、最近では南京大虐殺(南京事件)などという表記も見かける。また歴史教科書での表記も統一されていないようだ。私は南京大虐殺(1937)と習った記憶があるが、Wikipediaに詳しくまとめられているように国内の表記はかなり揺れている。
このように日本国内ですら、この事件について総括できていないのに、もう一方の当事者を納得させられる道理がない。
もうひとつの南京事件
私が南京事件といえば、1927に起こった蒋介石の国民革命軍が南京を占領した際に起きた日本を含む外国領事館と居留民に対する襲撃事件を思い出す。
上の1937年の南京事件とは逆に、中国人が日本人を暴行・殺害した事件であるが、受験勉強で表面的に勉強しただけという人がほとんであろう。
日本近現代史の教育
そうしたことを考えると、今回のユネスコの世界記憶遺産の件も日本人が歴史に目を背けてきたことが一因であるように思う。
特定の思想に偏る必要はないが、史実としての近現代史を学ぶ必要があると感じる。日本の近現代史だけで科目とし、1年かけてじっくり勉強するカリキュラムがあってもいいだろう。