新文芸坐の《艶と凛 大映に咲いたふたつの名花 京マチ子と山本富士子》で、映画『女の一生』(1962年、監督:増村保造)を鑑賞。主演は京マチ子。「女の一生」という題名の作品はモーパッサンをはじめいろいろあるが、本作は森本薫の戯曲が原作で、杉浦春子が文芸座の舞台でロングランで上演されたことで知られる。
戦争による動乱の時代に翻弄されるひとりの女の一生を、娘時代から老け役までを京マチ子を演じる。上演時間がおよそ90分の作品であるが、この尺で一生を描くのはやや無理があり、連続ドラマの総集編を見ているようだった。
当時の新聞誌面で時代が戦争に向かっていく世相を表現していく構成で、あれよあれよという間に時代が進み、出演者もどんどん老けメイクになっていく。あまりにも駆け足すぎる。
娘時代の京マチ子は、池野成の音楽によることもあり、そのまま若尾文子に置き換えても成立しそうに思えた。増村保造の演出の特徴がよく出ている気がする。
京マチ子は、養子で家に入り中国貿易で隆盛を誇る大手商事・堤洋行の経営者として経営に辣腕を振るう女社長を演じる。商社の経営者になり順風満帆の人生かと思いきや、夫婦は疎遠になり、娘に人間性を否定されてしまい、女の幸せとは無縁の淋しい人生を送る。
その後、敗戦を迎え空襲で廃墟になった堤家でバラックに住む京マチ子。そこに若き日に別れた田宮二郎(老けメイク!)が一緒に暮らさないかと訪ねてくるが、疎開させた家族を待つためにバラックに残ること決める。そしてひとりで「アニー・ローリー」を歌い、これまでの人生を回顧する。まあ、そんな話です。
堤洋行に捧げた女の一生ならば、ビジネス面を詳しく描けばよかったかもしれない。とくに堤洋行の後継者をどう考えていたのか気になるところです。いずれにしても、物語の大きさに比べて尺が短すぎます。演劇ならまだしも映画としては無理筋な企画だったと言えるでしょう。