ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書)
- 作者: 青砥恭
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/10
- メディア: 新書
- 購入: 14人 クリック: 191回
- この商品を含むブログ (62件) を見る
高校中退者へのインタビューや広範囲な調査により、高校中退の主原因が家庭の貧困であることが浮き彫りになっていく良質のルポといえる。
ふだんの生活ではまったくの無縁の底辺高校の実態には驚愕した。こうした底辺校で教える教師たちにも同情する。もはや教師の守備範囲を大きく逸脱した問題に直面しており、社会構造の問題がそのまま底辺校という形で現出しているとも言える。
しかし、この問題が国全体にどの程度のインパクトがあるのかという点は、この本では判然としない。たしかに個々の事例をみれば深刻な状況だとは思うが、具体的にマクロとして社会にどのくらいの悪影響を及ぼすのか定量的に示さないと問題の深刻さ評価できない。無視し得るのならば、底辺校を廃校にするなどして、どんどん切り捨ててもかまわないだろうし、むしろ切り捨てるべきだろう。これはマキャベリズムの基本だ。
そもそも義務教育を終えた高校生が、「九九を覚えていない」「アルファベットを書けない」といったことを、貧困に原因を求めるのは本当に妥当なのだろうか。本人に責任はないのか。こうした学生に貴重な税金を投入して教育を施すことに、どれだけの市民の賛意を得られるだろうか。
この体たらくでは、卒業してもたいして社会の役に立ちそうにないし、外国からの労働力で容易に代替可能であろう。教育に税金が投じられるのは、社会共通の人的資源である子供への先行投資という側面が強い。底辺校の学生のような不良債権に投資するよりも、損切りすべきだと考える人が増えてもなんら不思議ではない。
筆者は、あとがきで貧困問題に対して4つの提案をしている。
この提案のいくつかは、民主党の政策として挙げられており、今後の動向が注目される。これで問題が解決するとも思わないが、少なくとも再チャレンジの道は開けておく必要があるというには同意する。
しかし、本書で底辺校の実情を知るにつれ、本当に現在の底辺校を維持することが、社会のコスト負担に見合うの疑問に思える。財政難のなか公立の底辺校は不要だとあえて言いたい。少なくとも私はコスト負担したくない。むしろ将来の国益に資する高度人材の養成に重点的に資源を投入すべきだろう。