先日、原節子(1920-2015)さんの訃報が大きく報じられた。昭和の大女優であり、日本映画界にとっては伝説である。
主な出演作を並べてみても日本映画を代表する作品ばかりで、日本を代表する映画監督と仕事をしていたことがわかる。これらの作品はもはや日本映画の古典である。
- 『わが青春に悔なし』(1946年 黒澤明)
- 『安城家の舞踏会』(1947年 吉村公三郎)
- 『お嬢さん乾杯』(1949年 木下惠介)
- 『青い山脈』(1949年 今井正)
- 『めし』(1951年 成瀬巳喜男)
- 『東京物語』(1953年 小津安二郎)
しかし原節子さんは、戦前には国策映画にも出演し、戦後は上記のような錚々たる作品に出演した後、小津安二郎監督が死去した1963年に事実上女優業を引退している。「小津監督に死に殉じるように」と評された。その頃には日本映画の斜陽化も進んでいて、ちょうど日本映画界の凋落と時を同じくして公の場から姿を消している。
今回、驚いたのは週刊誌「週刊朝日」「サンデー毎日」の表紙を原節子さんが飾ったことだ。書店で表紙を見かけたとき、読者の年齢層はどうなっているのだろうと空恐ろしくなった。リアルタイムで小津安二郎の映画を見た人たちなのだろうか。これだけ読者の高齢化が進んでいるとすれば、これら老舗週刊誌の命脈も長くないかもしれない。