どうして英語が使えない?―「学校英語」につける薬 (ちくま学芸文庫)
- 作者: 酒井邦秀
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/01
- メディア: 文庫
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これでもかとばかり「学校英語」「受験英語」に対する辛らつな批判が続くので、読んでいていささか閉口する。たしかに「学校英語」「受験英語」には、さまざまな問題があるのだろうけど、入試で選別するための英語であり、大学で学問するための英語なのだから、ある程度は仕方ないのではないかとも感じた。まあTOFELを英語の入試として採用すべきだいう意見も聞くが、学校英語は日本語力や論理力を涵養する役割も期待されているのだろう。
あと文法軽視なのは大いに疑問。文法は外国語を学ぶときの強力な武器である。大学受験程度の文法が必要な英文はウェブにも普通に出てくるので、これは避けては通れないだろう。さらに将来、英語以外の外国語を学ぶことを考慮していないもの気になる。文法の知識を活用することは、他の外国語を学ぶときに不可欠である。英語ほど多くの時間かけられないが、他の外国語(とくに西欧語)の文献は読む必要がある人もいるはずで、英語学習を通して文法の活用方法を習得しておきたい。そうした人たちへの配慮に欠ける。
また、英語教育を論じるのに、その到達目標が明らかになっていないのも不満である。筆者は英語力を数値化するのが嫌いのようだが、大学を卒業して社会に出る時点で求められる英語スキルを明らかにして、それに向けて学習プログラムを組むをいったアプローチが合理的だ。
筆者は電通大の教官なので工科系学生についていうと、全国の上位20パーセント程度の学生には、専攻分野の論文が読み簡単なレポートを作成して、それに対し英語での質疑応答をこなす程度の英語スキルが必要ではないか。児童文学やサスペンスをペーパーブックで読んで楽しむ、などということは社会は要請していないだろう。どうか趣味でやってください。
この本は文庫だが、元の単行本が刊行されたのは1991年である。この後、オーラルの比重を高めるなど英語教育はずいぶんと変わった。今日、その変容を筆者はどのように評価するのか聞いてみたい気もする。