この週末、大学入試センター試験が行われている。今年の大学入試の現役生は、いわゆる「最後のゆとり世代」らしい。4年後には彼らの多くが社会に出ることになる。
考えてみれば「ゆとり世代」はかわいそうだ。自分に落ち度がないのに、何かあれば「やっぱり、ゆとり君は使えないな」とか、「ちぇ、ゆとりだから仕方ないか。プークスクス」とか陰に陽に悪し様に言われてきた。さらに数年後には、会社でも「脱ゆとり世代」と比べられるのである。
「ゆとり教育」とは何だったのだろう。授業時間を減らしたり教科書を薄くしたりしても、既存のモノサシで測れない「何か」を得ようとして教育改革が行われたはずである。
しかし「学力」を犠牲にしてまで得たものは何だったのかを評価することなく、いつの間にか方針変更されてしまった。要は「あーあ、やっぱり失敗だったよね」ということなのだろう。
人間のキャパシティなんて世代でそれほど変わらないだろうから、学力を捨てた代わりに何かを身に付けているはずなのだが……。いったい「ゆとり世代」は何を身に付けてたのだろう。
もし何も代償がなかったのなら、国家レベルでは甚大な損失だ。戦後最大級の失策と言っても過言ではないが、総括されたのだろうか。
「最後のゆとり世代」は今年18歳ぐらい。今後半世紀以上も「ゆとり」という烙印を背負って生きていくのか。しんどい話ではある。
- 作者:寺脇 研
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2007/09/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)