新文芸坐の《追悼・萩原健一 銀幕の反逆児に、別れの“ララバイ”を》で、映画『瀬降り物語』(1985年、監督・脚本:中島貞夫)を鑑賞。
かつて箕作り(みつくり)、箕直しを主な生業として山野を漂泊し、川辺に天幕を張り、一般社会とは隔絶して独自の習俗を持つ「山窩(さんか)」という人たちがいた。彼らを通して人間の逞しさ、哀しみを綴った力作。中島貞夫監督が長く暖めていた企画だったが、興行成績は芳しくなかったという。タイトルの「瀬降り」というのは天幕、テントのこと。
ショーケンの出演作では異色作といえるが、本作では山窩のリーダーを演じて精悍な見せてくれている。やたらかっこいい。
山窩の姿を描いた壮大なドラマだが、「性」が過度に強調されている。藤田弓子、河野美地子、早乙女愛、永島暎子の4人の女優が思い切り脱いでいるのはいいが、本来のテーマからは脱線しているような思えた。また藤田弓子が脱いでもなぁと思ったが、当時はまだギリギリセーフか。
冒頭「かつてこういう人たちがいた」という意味のテロップで始まるが、いったいどこから現れて、どうやって消滅したのかを丁寧に説明するところから始めるべきだろう。そもそもこの人たちがどうやって生計を立てていたのかがわからない。「箕作り」で物々交換して、あとは自給自足していたのだろうか。どうも実態が見えてこない。
また途中、国家総動員法の時代、軍人が山窩に戸籍をつくって徴兵に応じろと迫る場面がある。山窩と一般社会との関わりを描く重要なイベントに思えるが、結局どうなったの明らかにされずに肩透かしと食らわされる。
細かいエピソードで山窩の習俗を描くアプローチはいいが、一本の映画としてはまとまりがない。終盤、藤田弓子が狂気にとらわれた一般民衆に虐殺されるあたりから盛り上がりを見せるが、山窩と一般社会が全面的に衝突することもなく穏やかに終わる。
この映画は民俗学的に価値があるのかもしれないが、興行成績が振るなかったのもむべなるかな。ただし四国の長期ロケで撮った自然の映像が美しいのは評価できる。