国立映画アーカイブの《映画監督 深作欣二》という企画で映画『おもちゃ』(1998年)を鑑賞。溝口健二監督の『祇園の姉妹』(1936年)のオマージュとして新藤兼人が書いた小説が原作、新藤自身が脚本化している。主演・宮本真希のデビュー作。「おもちゃ」のタイトルは主人公の舞妓名から。
昭和33年、売春防止法施行される頃の京都の花街。貧しい家に産まれた時子(宮本真希)は、置屋「藤乃家」の下働きの舞妓見習いとして住み込みで働いていた。女将の里江(富司純子)や先輩の芸姑たち(南果歩、喜多嶋舞)に囲まれ修行に励んでいた。いよいよ時子が舞妓として巣立つことになり、お大尽(加藤武)に水揚げされる日が迫る……。
この映画はいわゆる花街モノだが、京都の置屋はこういう雰囲気なのだろうか。富司純子はさすがの貫禄だが、これほどまでに騒々しいのか。南果歩と喜多嶋舞が取っ組み合いをする芝居は深作らしい迫力だが、芸姑たちがこんなにギャーギャー叫んでいいのか。ちょっと意外な気がした。まあ南果歩は芸姑姿でも独特の声ですぐにわかるのは女優としての強みにも思えるが、とにかくうるさい。
またタクシー会社のストライキのなかに荒くれ者が殴り込むシーンも深作らしい。こうしたシーンを挿入するとテンポがよくなるし、目先もかわり映画が見やすくなる効果はあるが、本筋とまったく関係ないのはご愛嬌。
この映画は主人公・宮本真希がいい。舞妓見習いの時子がいつも小走りで走り回りながらも機転が利く姿は新しい時代を感じさせる。このまま朝ドラに出れそうな清涼感もあるが、さすがに花街を舞台にするのはNHK的に無理か。「水揚げ」が決まって、大阪の材木屋で働く恋人に会いに行くが、会わずに遠くから見るだけという演出もにくい。
圧巻はやはり「水揚げ」のシーン。映画のすべてが収斂している。過剰に思える荘厳な音楽と謎のフィルターを使用した映像効果のおかげもあり、宮本真希の裸体が神秘的に美しく撮れているのは白眉。この時期に裸体を巨匠たちの手によりフィルムに残せたのだから女優冥利に尽きる。誰にでも訪れる機会ではない。宝塚歌劇団を早期に退団して映画に臨んだ十分に価値はあったろう。ちなみにヅカでは蘭寿とむや壮一帆と同期だったという。
ラストに「昭和は終わった」というナレーションが流れる。時代は流れても京都の花街には昔と変わらない営みが続いているぐらいの意味だったが、昭和どころか平成も終わってしまった今日にこの映画を見ると感慨深い。時の流れは速い。