「日本人と英語」にまつわる通説、俗説を、無作為抽出で得られたデータを使って検証していく本です。
「日本人と英語」の社会学 −−なぜ英語教育論は誤解だらけなのか
- 作者: 寺沢拓敬
- 出版社/メーカー: 研究社
- 発売日: 2015/01/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書で取り上げているのは、次のような通説、俗説です。
- 日本人は世界一英語が下手である
- 日本人は全員英語が必要だ
- 日本における英語学習熱は高い
- 女性は英語好きで、その学習熱は特に高い
- これからの社会人に英語は不可欠である
- 日本の英語ニーズは年々増加している
- 英語ができると収入が増える
こうした「神話」に対して、計量社会学の手法を用いて論駁して、データ分析からわかる正しい「日本の姿」を提示すると同時に、英語教育の実態を解明していきます。
上に挙げた「神話」について、経験的にあやしいと思っている人は多いかもしれませんが、データに基いて精緻に議論されている本は珍しいのはないか。面白く読みました。
そのなかで一つだけ「英語ができると収入が増える」という通説について紹介したいと思います。確かに英語ができる人は高収入だという相関はある。しかし、それは英語ができることだけが要因ではなく、その人の出身階層、学歴、企業規模などの属性によるものが大きい。つまり英語ができるから直ちに収入が増えるわけではないことが示されます。納得できる分析です。
また、上のような「英語言説」という誤謬を回避するためには、次のことに注意するべきだと説いています。
- 英語通説がだれの利益になるかに注意を払う
- 関係者の間で流通している「日本社会のイメージ』には大きなバイアスがかかっていることを考慮する
- 「日本人」を一枚岩的に捉える議論を疑う
ここで読者に対して少しだけ注意喚起しておきます。この本は日本人全体、あるいは勤労者全体という大きな母集団を対象として、日本全体の実態を提示しようとしている点です。公教育の未来などという大きなテーマを扱うときには確かに有用でしょう。
しかしながら、もっとミクロの視点で見れば、ある個人は似たような居住地、学歴、企業規模といった属性の人たちと競争しているわけで、個人レベルでは、その所属している集団のなかで英語ができるできないことの得失は別に考える必要があるでしょう。
マクロの議論は個人レベルではあまり意味がないことを指摘しておきたい。マクロとミクロは区別する必要があります。もはや英語はできて当たり前、英語ができないだけでマイナスになるという職場環境も珍しくありません。当たり前ですが、ミクロで重要なのは「日本人と英語」ではなく「私と英語」です。
この本は、専門家があとで検証できるようにデータ分析手法を詳しく扱っているので、やや取り付きにくい印象がありますが、章ごとにまとめが用意されていて読者が手早く概要を掴めるように配慮されているのは好印象です。英語に関心がある方に広くお薦めします。