退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

NHK受信料控訴で受信料制度の違憲性を争う展開に

西日本新聞(2008年6月22日・朝刊)に、受信料支払いを拒否した視聴者にNHKが支払いを求めた民事訴訟が、受信制度の違憲、合憲を争う展開になっている、という記事が載っている。憲法学者二人の見解は、ネットでも読めるが、新聞記事には、この他に「NHK受信料控訴の主な争点」という表が付いているので、下に引用しておく。

視聴者の主張 NHKの主張
憲法19条(思想・良心の自由の保障) NHKの不祥事や番組改編問題など真摯な理由で受信料を拒否したのに、支払いを強制するのは、思想・良心の自由を侵害する テレビ設置者にNHKとの受信契約を義務付けた放送法は、特定の思想を強制したり、思想に基づく不利益な取り扱いをしたりはしていない
憲法21条(表現の自由の保障) テレビを設置しただけでNHKの番組を視聴したものとして受信料を強制するのは、「知る権利」に基づく情報選択の自由を損なう 番組の多様性や質を確保するため、受信料に支えられる公共放送を制度化したのは合理的。放送法はNHKの番組を視聴することを強制していない
憲法13条(幸福追求権の尊重) 受信料を免れるにはテレビを撤去するしかなく、NHK以外の民放も見られなくなり、幸福追求権に含まれる「自己決定権」を侵す 放送法はNHKの番組を強制しておらず、メディアの選択を制約しない
その他 視聴者が受信料支払いの義務を負うのに、契約相手のNHKが視聴者に何の義務も負わないのは、信義則に反する NHKは放送法上、「豊かで良い」番組を放送する義務を負うが、国民全体に対するもので、受信契約に基づく個々の視聴者への義務ではない

また二人の憲法学者の見解とは次のような内容である。まず土屋英雄・筑波大学教授は、「スクランブルにより見たい人だけが支払うようにするべき」「公共放送にこだわるなら、視聴者が法的に経営に参加できるシステムづくりが必要」としている。一方、長谷部恭男・東大教授は、「NHKの質の高い番組は民放にも影響を与えているから、NHKを見ないで民放ばかり見ている人も、間接的な便益を享受している」「NHKの放送は公共サービスなので、個々の視聴者の意向には応じられない」と述べている。皆さんはどう考えるだろうか。

まあNHKは既に役割を終えていると思うので、分割して今後の運営を考えるべきだと思う。まずは公共放送の本来の役割を見直して、本当に公共サービスとして必要な部分は国営放送とし、財源は税金を充てる。これにはニュース、災害放送、教育放送の一部が含まれるであろう。その他の放送は、スクランブル化して見たい人だけが受信料を負担する、とうのが至当である。ちょうど地上デジタル放送の開始がよい契機となるであろう。そもそも「NHKが良質の番組を放送している」という上から目線が不遜極まりない。

その前に、社会全体がテレビ自体を見なくなってきているので、公共放送自体が成立しない状況がそこまで来ているようにも思う。また上の土屋教授が受信料制度について、下記の書籍を上梓しているようなので手にとってみたい。

NHK受信料は拒否できるのか

NHK受信料は拒否できるのか