退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【映画感想】『女は二度決断する』(2017) / テロの本質とは何かを問う社会派風味の作品

新文芸坐の《シネマ・カーテンコール 2018》で映画『女は二度決断する』(2017年、監督: ファティ・アキン)を鑑賞する。ドイツ映画。

女は二度決断する [Blu-ray]

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ハンブルグで、トルコ系移民の夫・ヌーリと息子ともに幸せに暮らす主人公カティア(ダイアン・クルーガー)は、ある日、若いネオナチの夫婦が起こした爆弾事件により、夫と息子を失う。じきに容疑者は逮捕され裁判が始まる。被害者参加制度を使い、ユーリも裁判に同席するが、一審で証拠不十分で無罪判決が下る。カティアは自らの手で報復しようとネオナチ夫婦の滞在するギリシャに向かうが……。


「女は二度決断する」予告編

邦題には「二度決断する」とある。一度目は手製の爆弾で復讐することを思い立ったこと。二度目は遠隔操作で爆殺することをやめてキャンピングカーに自ら乗り込んで自爆することを選択することだろう。この心境の変化をもたらしたものは何だったのか。

移民問題、極右の台頭、人種差別などさまざな現代の社会問題について、この映画は何かを言おうとしているようにも思えるが、どんなメッセージを伝えたかったのだろうか。一見社会性のある作品に思えるが、どうも見えてこない。

主人公の女は結局、自爆することで復讐を果たす。救いようのないショッキングな結末だが、それは家族を失った絶望ゆえの行動なのか、それとも復讐の連鎖を断つための行動だったのだろうか。いろいろと解釈できそうだが、作者に本意を聞いてみたい。

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