退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

「戦後70年談話」で思ったこと

8月14日、安倍晋三首相がいわゆる「戦後70年談話」(安倍談話、閣議決定)を発表した。発表前から内容について憶測が飛び交い注目を集めていた。

歴代内閣の談話を踏襲すると伝えられたので、それなら70周年という中途半端はタイミングでわざわざ談話を出す必要あるかと思った。これまでの方針を大転換するのでなければ、わざわざ談話など出しても得るものはないだろう。

そうは言っても、総理が出したいと言えば誰も止められない。仕方ないでの読んでみたが、スマホで読むのがツラいほど長い。全文は首相官邸のページから参照できる。なぜかタテ書き5ページのPDFファイルもあるのでお好みで。

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4つのキーワード

バカバカしいことだと思ったが、今回の談話に「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「おわび」というキーワードが盛り込まれるかどうかが注目されていた。

一応、この4つのキーワードは談話で網羅されていたが間接的で自分の言葉とは言えないような微妙な表現になっている。本当は謝りたくないんだけど仕方ないからキーワード入れておくか、ということだろうか。

帝国主義と不戦条約

談話で興味深いのは冒頭で戦争に至る経緯を述べていること。安部首相の歴史観を垣間見ることができる。

帝国主義の時代には、欧米列強の植民地支配の波がアジアやアフリカの国々を蹂躙し、その後、第一次世界大戦の反省のもとに国際連盟を創設し、不戦条約を締結した経緯をなぞっている。

さらにその後日本が戦争に突入して行く経緯を次のように総括している。

しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

第一次世界大戦を繰り返さないために締結された不戦条約(1928年)が画期になっていることが重要だ。つまり、それ以前は帝国主義の時代で国際社会は弱肉強食だったのでナンデモアリだったが、それ以後に勃発した満州事変(1931年)はアウトということだ。アウトなのにやっちゃったよという点は談話でも反省を表明している。

ただ韓国は穏やかではないだろう。日韓併合(1910年)帝国主義の時代で国際社会も承認しているのでセーフ。「韓国が弱かったから食われただけだよね」という見解が隠れているというと深読みしすぎだろうか。まあ日本も幕末には列強に食われそうだったから他人事ではなかったのだが。

英語版が前提の談話

今回の談話は官邸から英語版も提供されている。この談話を事前にアメリカ様に見せて承諾を取ったのかはわからないが、きっと英語版とセットで原稿が練られたのだろう。

慰安婦」という語を使わなかったのもその表れだろうか。。時間があれば原文と英語版を照らし合わせてみるのも面白いかもしれない。語学学習にもいいだろう。

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まとめ

あらためて「戦後70年談話」なんて必要がなかったと思うが、八方美人的な内容ということもあり、内外からはおおむね好評のようだ。

もっとも日本が戦後70年間にわたり戦争に巻き込まれなかったことは評価できる。これが単にラッキーだったのか、日本の平和への取り組みが奏効したのか評価が分かれるところだろう。

また談話の終盤を次のように結んでいる。「積極的平和主義」という謎の語が気になるが、あと30年ほど平和が続いて戦後100年を穏やかに迎えることができるように祈りたい。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

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photo by MIKI Yoshihito (´・ω・)