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退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

【読書感想】行方昭夫『英会話不要論』(文春新書、2014年)

朱牟田夏雄の系譜に連なる東大の英語教師の大御所が、最近の英語教育に対し辛辣な批判を加える。内容はとくに新しいことはないが、身近な事例を紹介しつつ問題を指摘しているのは説得力があるし、なによりも読みやすいのでサクサク読めるのがよい。

英会話不要論 (文春新書)

英会話不要論 (文春新書)

この本を読むにあたり興味があったのは、次の2点でだった。

  • 小学校への英語教育導入の是非
  • 昔の文法・訳読を中心とした英語教育の効用

まず小学校への英語教育についてである。既に小学校5,6年生に必修化された英語授業を導入することが既定路線になっている。しかし膨大な費用を投じて資格をもった教員やALTを配置して英語授業を実施してもその効果が薄く、他の教科へのしわ寄せのほうが懸念されると指摘している。損得勘定はマイナスだろうという。

小学校への英語教育の必修化については専門家からも多くの懸念が聞こえてくるが、文科省はそのまま突っ走るだろうか。そもそも小学生に英語を教えるのは、高校生相手にセンター英語対策をするより、ずっと難しいだろう。どのように全国の小学校に配置するだけの教員を確保するのだろうか。いずれにしてもロクでもない結果になりそうだが、もはや小学校とは無縁なので高みの見物を決めこむことにしよう。

次に、文法・訳読を中心とした英語教育の効用については、アメリカのアダルト・ラーニング・センターの日本人学生の事例を紹介して、日本伝統の文法・訳読の授業はムダではないことを示している。しかし意外と知られてないが、既に昔ながらの文法・訳読の授業は行われていない。コミュニケーション重視の授業に変わっているらしい。筆者は、その後の大学生の英語力の低下についても指摘している。

この他にはバイリンガルとして成功するのは極めて難しいことを指摘していることも興味深い。近所にインターナショナル・スクールがある。そこには外国から日本に赴任してきれいる者の子弟だけでなく、なぜか日本人の生徒も義務教育を無視して通っているという。他人事ながら彼らの将来が心配になった。

本書を通読したあと、筆者の言いたいことはこんなことではないかと忖度してみた。「英語能力の習得は学習者がよほどの覚悟をして努力するしかない。しかし万人がそれを成し遂げることは無理だろうから、せめて読み書きする能力をほどほどに身につけていくのがよい。また英語以外の分野にエネルギーを振り向けたほうがいい場合も多いだろう。英語ができないと食えないという状況にない日本で、英語だけに熱くなりすぎるのはバカげている」と、こんなところだろうか。

最後に、書名の「英会話不要論」は、語るべき内容がないのにただ話せるだけの「ペラペラ英語」推進者へのアンチテーゼだろうか。しかし必ずしも本書の内容を正確に表わしていると言えない。編集者がキャッチャーな書名を付けるのは業界の慣習らしいから仕方ないのかもしれない。