退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

湯浅誠『どんとこい、貧困!』

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

どんとこい、貧困! (よりみちパン!セ)

図書館から借りてきて読んでみた。「児童書」に分類されていたが、中学生ぐらいの読書を対象にしているのだろうか。ルビと絵を多用したレイアウトになっているが、内容はかなり深い。いまの中学生が、この本をどれだけ読みこなすことができるか知りたいものだ。

本書は、案の定「自己責任論」を批判することから始まる。次に示す視点に対し、いちいち批判を加えていく。

  1. 努力しないのが悪いんじゃない?
  2. 甘やかすのは本人のためにならないんじゃない?
  3. 死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?
  4. 自分だけラクして得してずるいんじゃないの?
  5. かわいそうだけど、仕方ないんじゃない?

昨今の状況では、さすがに正面切って「自己責任論」を振りかざす人は少なくなったが、それでも多くの人の心のなかには依然として根深く存在していると思われる。それも本書にあるように、これが「上から目線」だとすれば、社会的影響力や権力を持った階層がそうした考えを持っていることが、事態を悪化させた原因のひとつと言えるだろうか。

自己責任論に関連するが、「溜め」という言葉と使い、「がんばるための条件」「その人が持っている条件」を言い表している。簡単ではあるが数値化も試みられていて興味深い。下に「溜め」についての部分を短く引用しておく。

”溜め”とは、「がんばるための条件」で、人を包み込むバリアーのようなもの。
お金があるのは、金銭の”溜め”があるということ。 頼れる人が周りにたくさんいるのは、人間関係の”溜め”があるということ。 そして、「やればできるさ」「自分はがんばれる」と思えるのは、精神的な”溜め”があるということだ。

あと面白いと思ったのは、筆者自身の体験を語るなかから、活動家(activist)を志すようになったか、その一端を窺えることである。まあ、東大法学部卒の秀才なのだから、官僚として上り詰め、「踊る大走査線」の室井慎次ではないが、トップダウンで社会変革を目指すという方法もあったのではと思わないでもない。

冒頭に「イスとりゲーム」のマンガが出てくる。よくイスの数が少なすぎるという話が引き合いに出される。しかしイスが、自動的に目前に出てくるわけもなく、雇用も経済活動の一要素だろうし、生活保護や雇用保険などの社会保障も富の再配分の一例である。したがって具体的な経済政策とリンクしない本書のような話は、「青臭いヒューマニズム」に過ぎないのではないか、とも通読後に思った。