退屈な日々 / Der graue Alltag

将来の展望が見えない現代。それでも映画や本を楽しみ、ダラダラと過ごす日常を生暖かく記録する。

猪口邦子, 勝間和代『猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか?』

猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか? (ディスカヴァー携書)

猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか? (ディスカヴァー携書)

一時期、騒がれていた「少子化問題」も、最近は話題として取り上げられることが少なくなったようだ。それ以外の問題に世間の耳目が集まっているせいもあるし、そもそも政策の焦点になりにくい問題であるということでもあるだろう。

本書(2007年4月発行)では、「これから5年間を逃すと莫大なコストが」(p.37)としきりに煽っているが、今日、100年に一度と言われる未曾有の経済不況を迎えたことにより、少なくとも短期的には少子化対策どころではないだろう。いよいよ日本終了か。

そもそも本当に多くの人たちが、「子どもを持つ喜び」とやらを希求しているという前提に疑問がある。本書では、社会状況がそれを許さないから出生率が低下していると断じているが、この仮定を十分に検証する必要がある。「子どもを持つ」ことに、社会から多少の支援が得られたからといって、本当に個々人が「子どもを持つ」ことを選択するものだろうか。もっと根本的な阻害要因があるように思う。

もっと遡って「少子化は危機だ」という命題も問い直す必要があろう。確かに、少子化は高齢化と同時進行するから、現在の賦課方式による年金制度は破綻するだろうが、それはこれまでの政権の無為無策が招いたことであり、積立方式に移行するべきだったということだ。他にも税や社会保障の負担が増えるというが、もう少し問題を分類して、それぞれに精緻な議論をするべきで、すべて少子化のせいにするは乱暴にすぎる。本書と併せて「少子化問題は取るに足らない」とう主張も吟味する必要がある。

もっと根本的なことを言えば、少子化問題が深刻になれば、確かに国は疲弊するだろうが、それはそれでいいのではないか。いまのような空疎な経済発展にどれほどの意味があるだろう。日本は、尊厳をもって衰微していく途を、いまから考えたほうがいい。

多少余談だが、本書で「子連れに対する社会の冷たい視線」(p.68)というセクションで、<電車のなかでは子連れは邪魔もの扱い>と不平を述べているが、ハッキリ言って<邪魔>です。イライラすることも多々ある。そのうち車内で、厭世して自暴自棄になったフリーターがベビーカーを蹴飛ばしたり、逆に丸の内勤務のサラリーマンがベビーカーに足を払われて怪我をしたりということがないかと懸念しているが、寡聞にしてその類の事件を聞かない。いまのところは、乗客は理性的に振舞っているということか。